![]() | 仙台放送『CATCH』(2003/9/27)出演時に作成したメモ |
仙台放送のテレビ番組『 CATCH 』2003年9月27日放送分の「夢か、現実か、電子自治体」にゲストコメンテーターとして出演した際に作成したメモに若干の加筆を行ったものです。
住基ネットは、電子政府・自治体のためというが、そもそも電子政府・自治体とは何かが国民に明らかになっていない。イメージも目的も不明確なまま。
電子政府・自治体の市場は3〜5兆円。もとは全て税金だ。
「インターネットで手続ができれば便利だ、だから電子自治体をつくりましょう」では、あまりにも皮相的であり軽薄。
一般の市民、特に給与所得者(5千万人)の方は、年に何回、市役所に行くのか。税も保険も年金も勤め先を通じて手続きしている。
どのような自治体や政府をつくるのか、地域や社会をどうしたいのかを明確にした上で、その手段として電子化を議論すべきではないか。
これまでの政府やIT企業中心の電子政府・自治体構築の議論では、手段と目的が混同されているのではないか。
メリットという点では、まず誰にとってのメリットなのか考える必要がある。政府、自治体、住民、企業など、それぞれの立場によって同じ政策でもメリットにもデメリットにもなる。
また、住民といっても一様ではない。ITを使いこなせる人と、年齢・所得・職種・学歴・居住地域・障害の有無など様々な要因で使えない人、使うのが困難な人ではメリットは違ってくる。
例えば、電子自治体の構築と維持には多額の経費が必要。自治体は経費捻出のために人件費のかかる窓口の縮小や廃止をすることになる。当然、ITを使いこなせる人は便利になるが、ダメな人は不便になる。
団塊の世代の人たちが退職し、福祉や年金で市役所に頻繁に用事ができる頃、電子自治体が本格稼働する。市役所に行っても、機械がずらっと並び、職員はほとんど窓口にいない。果たして大丈夫か。
企業でも大企業と中小では違うであろうし、業種によっても違う。
建築確認申請を電子化するとする。大手ゼネコンなどは企業内部の電子化は相当進んでいるであろうから図面等を電子化された状態で自治体等にインターネットで送付するのは、紙に印刷した上で窓口に持参することに比べれば経費の削減につながるであろう。
しかし、街の工務店はどうか。全てがそうだとは言わないが、業務の電子化などまだまだであり、電子申請に対応するには今後相当な出費が必要となるところも多いだろう。こうした経費は誰が負担するのか。
さらに、根本的な問題として「ITで便利になる」ことの意味についても考える必要がある。便利になることによって失うものはないのか。
例えば、保育所への入所申請。その子にとって一生涯で一度きりであろう入所申請を保育所や市役所を訪れることを省くためにインターネットで行うことは本当に幸せなのか。また、社会の進歩といえるか。
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住基カードの多目的利用を図っているようだが、もともと水沢市には市民カード(通称「Zカード」)がある。
旧郵政省の「都市コミュニティ研究成果展開事業」として、平成11年から、証明書自動交付、印鑑登録、図書館や公共施設利用のために約五千枚、外国人も含め市民に無料で交付してきた。
しかし、Zカードは来年3月末を持って廃止される。市民は廃止期限までにZカードを住基カードと交換しなければならない。そのため水沢市は、今年の12月末までに限って住基カードの交付手数料を無料としている。
Zカード用に1枚千円で購入したICカード1万枚の内、5000枚が在庫として残っている。500万円が無駄。さらに無料交換だから本来入ってくるはずの住基カードの交付手数料も入らない。
市長は市議会で、総務省に住基カード以上にすばらしいZカードが使えるように考えてほしいと申し入れをしてきたが、全国一律のカードにしないとだめだということで、住基カードという後発の後れたカードに合わせざるを得なかった。Zカードの方が、はるかに内容的にはよかったと思っている。甚だ残念だと答弁している。
水沢市は住基カードの多機能化のための総務省の実証実験にも平成13年度から参加したが、残念ながら、Zカードは住基カードにならなかった。結局、水沢市はIT先進都市としてもてはやされながら、実際には旧郵政省と旧自治省のICカードをめぐる思惑の中で翻弄され、お気の毒だが高い「授業料」を払わされたわけである。
ICカードである住基カードでの証明書自動交付は、磁気カードでも実現できること。ICカードにしたからといってセキュリティが向上するとは必ずしも言えない。自動交付機のセキュリティは磁気カードもICカードも暗証番号のみ。偽変造ではなく窃盗や紛失による不正利用で見れば危険性は全く同じ。
申請書自動作成や成人保健サービス、図書館予約、公共施設予約は自宅のパソコンからできるのか。市役所や図書館へ来いでは話にならない。しかし、自宅でやるにはICカードリーダがいる。果たして普及する見込みはあるのか。「いや、カードリーダがなしでもできる」というなら、住基カードを利用したサービスとは言えない。実際、図書館や公共施設予約をカードの必要なく実現している自治体も数多く存在している。
印鑑証明が取れるカードは、本来引き出しの奥にでも隠しておくべき大事なもの。そのカードを図書館利用などに使うために日常的に持ち歩くような住民が果たしてどれだけいるのか。水沢市ではこれまで「印鑑登録カードは大事に保存してください」とは説明してこなかったのか。
私の仕事は、情報を集める、提供すると言った意味でインターネットがなければ成り立たない。たいへんな恩恵を受けている。
ITは社会を大きく変えうる道具。人類の未来を切り開く可能性を持っているのは間違いない。
しかし、政府の進めている「電子自治体」構築は、政府が全て計画を決め、事細かく自治体に注文を付けて、さらに補助金や交付税などのアメも使ってやらせようとする中央集権的なやり方である。
政府は、国家戦略だとして全ての自治体が2005年度までに電子自治体になれとか、2005年度までに全ての手続をインターネットでできるようにするなどとしているが、なぜ何でも全てなのか。
日本には同じ市町村といっても人口が千人に満たない村から300万を超える政令指定都市まである。住んでいる人の層も生活実態も環境も違う。住民の自治体に対する要求や期待も、自治体が抱えている課題や問題も当然違う。なのに、なぜ全ての自治体が2005年度までになのか。
手続の電子化にしても手続するのが住民なのか企業なのかによっても、さらにその頻度によってもその必要性には違いがあるのは明らか。全てのなどと非現実的かつ非効率なことは言わずに自治体それぞれが実態に沿って個別に検討すべきものだろう。
政策的に失敗が明らかとなっている無駄な高速道路やダムの建設などと同様に、地方の実情や実態、意見に基づかないやり方。
そもそもITの中核はインターネット技術だが、これは中央集権ではなく、分散型のシステム。政府のやり方はIT社会にはそぐわない。
なにを、どこまで、そしていつまでに電子化するのかしないのかは、それぞれの自治体が住民と共に考えればよいこと。政府に一律に指示されなければならないような緊急かつ重大な課題ではない。
自治体にとって大事なのは電子化するかどうかではなく、住民の生活や基本的人権を守ること。そのための手段として電子化が有効であれば電子化すればよいのであって、電子化そのものが目的ではない。
ダイレクトメールがこれまで以上に正確かつ頻繁に送られてくるといった問題もあるが、より深刻なのはストーカー行為や詐欺など犯罪に利用される可能性である。
この場合、被害者になるだけではなく、加害者にでっち上げられる可能性もあることに注意しなければならない。
第二に、就職や生命保険の加入時などに漏れた個人情報(例えば病歴や遺伝子情報など)により排除される可能性である。
さらに、漏れた個人情報が改竄されて流通した場合(全部改竄より、一部改竄の方が信憑性があることから被害が大きくなる可能性も)、訂正が困難なことから新たな問題が生じることもあり得る。
一つは、政府にとって好ましからぬ人物を探しだし、その行動を監視することや、その人物を他者から排除(社会的隔離)することが可能となる点。
政府にとって好ましからぬ人物とは必ずしも反体制活動家(最近は流行らないが)など政治的な人物とは限らない。
政治家や官僚のスキャンダルに偶々関わってしまったり、官僚相手に交通事故など些細な訴訟を構えてしまったことにより、ごく普通の人がある日突然監視対象となるかも知れない。
監視すべきかどうかを決めるのは、我々ではなく監視する術を持っている側。私は何も悪いことはしていないから大丈夫は通用しない。
もう一つは、政府は全て知っていると国民が思いこむことである。
全ての国民の個人情報を集約することは機械的に可能だとしても、これを逐一点検することは、現在の技術ではまだ不可能。
例えば日本国中に監視カメラを付けたとしても、映像から政府が必要とする情報を自動的かつ的確に吸い上げるシステムの実現は困難。膨大な監視要員が必要。監視カメラによる全国民を対象とした完全な監視は非現実的。
しかしながら、ひょつとすると政府によって見られているかも知れないといった恐れが見られている側(国民)にあれば、その行動に枠をはめることは可能。監視カメラの利点の一つは、犯罪の抑止効果。
例えば、住基ネットで図書館での貸出記録や書籍の購買記録などが政府に流れていると国民に信じ込ませることができれば(もちろん政府としては公式には否定するが、噂として流通することは止めない)、政府批判の本を読むものは必ず減少する。
「1984」(ジョージ・オーウェル)に国民全てを監視するシステム「ビッグブラザー」。国民の管理を望むものにとっては、「ビッグブラザー」を完全に機能させることに力を注ぐよりも、「ピックブラザー」が完全に機能していると国民に錯覚させる方が、安上がりかつ簡単。
「どこで誰が聞いているかわからない、だから黙っておこう」というわけだ。
「電子自治体」化を短期間かつ安上がりに進めるためとして政府は、県主導による県単位での市町村の業務システム(コンピュータシステム)の共同化を進めている。一つのコンピュータを県、市町村みんなで使う。
共同化には、市町村の事務の標準化が不可欠。政府は、今、事務の標準化と標準システムの開発を着々と進めている。
しかし、標準化は言葉を換えれば画一化。市町村の業務遂行上の自由、すなわち地方自治が減少することを意味する。
市町村は住民の要求よりも、共同のシステムで処理できるかどうかが、新規に業務を行うかどうかの判断基準とせざるを得ない。
共同化された業務システムは県に1から2ヵ所程度の民間企業が管理運営するデータセンターに置かれることになる。システムで処理され蓄積される個人情報自体の管理も市町村の手から離れることになる。
これまで自治体に関わる個人情報漏洩事件のいくつかは委託先である民間企業や、下請け先を舞台として発生している。
共同化では市町村がデータセンターを自らの責任で日常的に監督することは困難。市町村の職員は、住民からの問い合わせに対し「県主導のデータセンターですし、民間企業には守秘義務を課していますからまあ大丈夫でしょう」とあなた任せの答えをせざるを得ず、当然の帰結として市町村は無責任にならざるを得ない。
ようするに政府が進める画一化を伴った中央集権的な共同化による電子自治体構築では、地方自治が失われる可能性が極めて大きいと言わざるを得ない。
もっとも共同化そのものを否定するわけではない。
似通った自治体どうしが特定の事務を処理するために民主的な議論に基づき対等の立場で自主的に共同化をするのは間違いではない。
距離の制約がないITは近隣どうしでなければ共同化できないという壁を打ち破っている。遠く離れていても共同化は可能なのであり、県という枠をはめられなければならない必然性はない。現に神奈川県横須賀市と山口県下関市は電子入札システムの共同利用を行っている。
否定されるべきなのは、あくまでも政府−県−市町村という旧来的な中央集権、ピラミッド構造による押し付けの共同化である。
第一に、自治体と住民との関係をどう見るか。
これまでの電子自治体の議論では住民はサービスの受け手としてのみとらえられている。そこでは、いかに顧客である住民に効率的にサービスを提供するかが問題となっている。
がしかし、住民は単なる顧客ではなく、サービスの内容そのものを決める主権者でもある。主権者としての権利を保障し行使するために電子化がどう役に立つのかの議論も必要であろう。
例えば、ITは行政情報の公開手段としては画期的なものであるが、自治体のホームページは住民の主権の行使に相応しいものとなっているだろうか。予算や計画、条例は掲載されているのか、議会や審議会の議事はどうか。広報紙では紙面の制約から要約しか掲載できなかったかも知れないが、ホームページなら全文掲載可能である。
第二は、手段と目的の混同をしないこと。
電子申請を実施することをまず決め、その上でどの申請を電子化するのかといった議論が日本国中で行われている。
しかし、本来、最初にすべきなのは、住民の要求や生活実態、地域の様子をもとに業務をどうするのかの議論。その上で申請が必要であるのかどうかも含めて検討すべき。申請の方法(訪問、窓口、電話、FAX、インターネット等々)をどうするのかは最後。
第三は、中央集権的手法ではなく、地方の自主性による地方の実情に基づいた電子化とすること。「合併しない」と同様に、「電子化しない」という選択もあるはずだ。
住民も暮らしも課題も、さらには歴史も文化も風土も自治体はそれぞれ違う。たとえ同じ県であっても隣同士であっても違う。
よって立つところが違うのであるから、電子化のやり方も違って当たり前。この点を踏まえない中央集権的かつ画一的手法による電子化は、日本国中に役に立たない金食い虫の粗大ゴミを撒き散らすことになるか、もしくは画一化で地方自治を葬り去ることになるかどちらかしかない